Share

第32話 サファイアの首輪④

Author: 花柳響
last update Last Updated: 2026-01-09 06:00:59

「嫌なら外してみろ。違約金をすべて払って、この部屋から出て行けばいい」

 試すような響き。

 そんなことができるはずがないと知っていて、私を追い詰めているのだ。

 母の命も、これからの暮らしも、すべては彼の手のひらの上にある。

 この首輪を外すことは、生きることを投げ出すのと同じ意味を持っていた。

「……できません」

「聞こえないな」

「……外せません。私は……あなたの、持ち物ですから」

 屈辱に視界が滲む。

 けれど、それを聞いた征也の表情は、歪むほどの喜びに染まった。

 彼は満足げに目を細めると、私の首筋に顔を埋めた。

「んっ……!」

 熱い吐息が、敏感な肌に吹きかけられる。

 背筋を稲妻のような痺れが駆け抜けていった。

 怖い。悔しい。

 なのに、どうしてこんなにも、身体の奥が熱くなるのだろう。

 彼に縛られているという事実が、彼に支配されているという証が、空っぽだった私の中身を埋めていくような、恐ろしい充足感。

「いい子だ」

 征也の唇が、首筋に触れた。

 キスではない。獲物を味わうように、舌先で肌を這う。

 昨夜つけられた赤い痕――しつこく残る印の上を、なぞるように。

「ひゃ……っ、や、やめて……ください……っ」

「暴れるな。鎖が擦れて傷になるぞ」

 嘘だ。

 彼は私が傷つくことなんて、微塵も気にしていない。

 ただ、私が自分の腕の中で翻弄され、情けない声を漏らす姿を見たいだけなのだ。

 征也の手が、ドレスの背中のファスナーにかけられた。

 ジジジ、と布が擦れる音が、静まり返った部屋に大きく響く。

「あ……っ!」

「大人しくしていろ。……今日は一日、随分と気を張り詰めていたようだからな」

 ファスナーが下ろさ
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第45話 翌朝のオムレツと刻印②

     着替えようとして、私は部屋の中を見回し、呆然と立ち尽くした。 昨日まで身につけていた、地味な家政婦の制服が見当たらない。 脱ぎ捨てられたはずの惨めなドレスも、下着も、すべてが神隠しに遭ったように消えている。代わりに、ベッドサイドの椅子の上には、包装を解かれたばかりの真新しい服が置かれていた。 上質なシルクの白いブラウスと、体のラインを拾いそうなタイトスカート。それと、新品のストッキング。 明らかに、仕事へ着ていくための服だ。けれど、床を磨き、皿を洗う家政婦のそれではない。「……これを着ろってこと?」 選択肢など、端から用意されていないのだ。私は戸惑いながらも、その服に袖を通すしかなかった。あつらえたように私の体に吸い付き、スカートの丈も、ウエストのくびれも、恐ろしいほどぴったりだった。彼は私の体の隅々まで、サイズさえも完全に把握している。 その事実に薄ら寒いものを感じながら、私は部屋を出て、階段を降りた。 一階のホールに近づくにつれ、鼻をくすぐる香ばしい匂いが漂ってきた。挽きたてのコーヒーの香りと、バターが焦げる甘く濃厚な匂い。 誰かいるの? 通いの使用人さんが来たんだろうか。 匂いに誘われるようにしてキッチンへ向かった私は、そこで足を縫い止められたように動けなくなった。「……あ」 信じられない光景が、そこにあった。 広々としたアイランドキッチンの前に立ち、慣れた手つきでフライパンを振っているのは、天道征也だ。 完璧にプレスの効いた白シャツの袖を無造作に肘まで捲り上げ、黒いエプロンを腰に巻いている。その姿は、生活感あふれるキッチンの中にありながら、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのように決まりすぎていて、現実味がまるでなかった。 あの冷酷なCEOが、エプロンをつけてキッチンに立っているなんて。「……いつまで突っ立っているつもりだ」 背中越しに声をかけられ、びくりと肩が跳ねた。 征也は振り返りもせず、器用にオムレツを皿に移している。その声は、昨夜の熱情が嘘のよう

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第44話 翌朝のオムレツと刻印①

     目を覚ました瞬間、瞼の裏を刺すような白い光に、思わず顔をしかめた。 分厚いカーテンの隙間から、容赦のない朝日が細い筋となって差し込んでいる。昨夜、あれほど狂ったように窓を叩きつけていた雨音は、嘘のように消え失せていた。代わりに聞こえてくるのは、どこか遠くで響く小鳥のさえずりと、自分自身の重たい呼吸音だけだ。「……ん……っ」 身じろぎしようとした途端、錆びついた蝶番を無理やり動かしたような鈍い痛みが、足の指先から頭の芯までを駆け抜けた。 腰の奥が鉛を埋め込まれたように重く、太腿の内側がひきつるように強張っている。まるで高熱に浮かされた翌朝のように、体の節々が軋んで悲鳴を上げていた。その気だるい痛みこそが、昨夜自分がどれほど乱暴に扱われ、どれほど無様に啼かされたのかを、無言のうちに突きつけてくる。 恐る恐る、隣を見る。 冷たかった。 キングサイズのベッドの半分は、すでに皺ひとつなく整えられている。シーツに掌を這わせてみても、そこにはもう人肌の温もりすら残っていない。指先に触れるのは、ひやりとしたリネンの感触だけだ。「……いない」 昨夜の熱狂は、すべて幻だったのだろうか。 ――死ぬまで、俺のそばにいろ。 嵐の轟音にかき消されそうになりながら、それでも耳の奥にこびりついて離れない、あの切実な声を思い出す。雷鳴に怯える私を抱きすくめ、まるで迷子が親を探すように縋り付いてきた征也。私の肌に食い込むほどの腕の力と、火傷しそうなほど熱い体温。 けれど、目覚めた私に残されているのは、首元に巻きついたサファイアの冷たい重みと、泥のように重い倦怠感だけだった。「……夢なら、よかったのに」 喉が張り付いて、掠れた声しか出ない。その独り言は、広すぎる寝室の天井に吸い込まれて消えた。 夢じゃない。私は本当に、彼の妻という名の所有物になり、そして昨夜、彼と一線を越えた カァッ、と全身の血液が逆流して、顔が沸騰する。シーツの下の自分の体がどうなっているのか、確かめる勇気さえ湧いてこない。

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第43話 雷雨の初夜⑥

     外の雨音だけが、依然として世界を塗り潰すように降り続いている。先ほどまでの熱狂が嘘のように、部屋の中には冷たく静かな空気が満ちていた。 征也は、私の身体の上に重なったまま、肩で荒い息を整えていた。 彼の汗が私の胸元に一滴ずつ滴り、それがゆっくりと冷えていく感覚が、夢のような心地から現実へと引き戻していく。 私は、彼がいつものように冷酷な態度で私を突き放すのを、ただじっと待っていた。 けれど、彼は動かなかった。 それどころか、彼は私の首元に鼻先を寄せ、深く、何度も何度も私の匂いを吸い込んでいる。 その仕草は、どこか迷子になった子供が、たった一つのしるしを確認しているようで――。「……死ぬまで、俺のそばにいろ」 低く、地を這うような呟き。 それは、紙に書かれた契約の言葉よりもずっと重く、私の魂を逃げられない鎖で縛りつけた。 彼は、震える私の手をそっと取り、自分の胸の上に置いた。 そこには、私を憎み、けれどその憎しみよりも深く私を渇望しているかのような……私という存在なしではもう形を保てないほどに歪んでしまった、彼の剥き出しの鼓動が、痛いほどに打たれていた。 征也は、私の指を一本ずつ絡めるようにして、ぎゅっと握りしめる。 その力は、先ほどの暴力を孕んだ強さとは違っていた。 今にも壊れてしまいそうなものを扱うような、微かな躊躇いを含んだ優しさ。「……お前のせいで、俺はもう、まともには戻れない」 自嘲気味に笑った彼の声に、私は胸をきつく締め付けられた。 この人は、私を支配しているつもりでいて、実は私以上に、この歪んだ関係に溺れてしまっているのではないか。 自由を奪われた絶望の底で、私はふと、彼という巨大な孤独の隣にいることが、逃れられない未来であるような……そんな静かな予感を抱いていた。 首元のサファイアが、月明かりも届かない暗闇の中で、鈍く青い光を反射している。 それは、天道征也という底知れない闇に一生を捧げることを誓っ

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第42話 雷雨の初夜⑤

     痛い。けれど、それ以上に、肌が触れ合う部分がひどく熱い。 彼が私の中に刻み込んでくるのは、快い痺れを伴った、逃げられない支配そのものだった。 突き上げられるたびに、私の意識はバラバラに砕け、彼の放つ体臭と、濡れた肌が擦れ合う生々しい音の中に溶けていく。 薄目を開けて征也の顔を盗み見ると、そこには望みを叶えた男の、勝ち誇ったような笑顔などはどこにもなかった。 眉間に深い皺を寄せ、何かに耐えるように、あるいは何かをひどく呪っているかのように、苦しげに歪んだ表情をしている。 汗に濡れた前髪が額に張り付き、その隙間から覗く瞳は、射殺すほどに強く私だけを映していた。(どうして……。思い通りに私を手に入れたのに、どうしてそんなに泣きそうな顔をしてるの……っ) 彼から溢れ出しているのは、ただの愛欲ではない。もっと根深く、ドロドロとした苦しみの混じった、やり場のない感情だった。「俺以外の男を知るな。その身体に、俺以外の名前を刻むな……っ!」 征也は、私の肩を噛むように深く口づけ、呻き声を上げるように吐き捨てた。 その言葉は、命令というよりも、どこか震えるような悲鳴にも聞こえた。 神宮寺蒼への激しい嫉妬。私を再び失うことへの怯え。それらが「憎しみ」という形を借りて、激しい熱を帯びながら私に叩きつけられる。「征也……くん……」 真っ白になっていく意識の中で、私は彼の名を口にする。 その瞬間、彼の動きがぴたりと止まる。 青白い雷光が部屋を真っ昼間のように照らし出し、彼の瞳に宿った、狂おしいほどの熱量を露わにした。「……莉子……」 彼は私の腰を壊さんばかりに強く掴み、加減を忘れたような速さで私を追い詰めていく。 私の身体は彼の動きに翻弄され、ただ、止むことのない大波に飲み込まれる小舟のように、ひたすら揺さぶられ続けた。 お腹の奥が甘く疼き、自分でも信じられないような

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第41話 雷雨の初夜④

     落雷の凄まじい衝撃が屋敷を震わせるたびに、窓ガラスがガタガタと悲鳴のような音を立てて鳴っている。 窓の外で光が弾けるたび、広い寝室の豪奢な調度品が一瞬だけ闇に浮かび上がり、すぐにまた深い影へと沈んでいく。 今の私にとってその轟音は、耳元で繰り返される征也の荒く熱い呼吸に比べれば、どこか遠い世界の出来事のようにしか感じられなかった。 最後の一枚が指先で払われるようにして剥ぎ取られ、私の肌は、あの頃とは様変わりしてしまった彼の冷たい視線にさらされる。 焼けるような恥ずかしさに顔を赤く染め、私はたまらず両腕で自分を隠そうとした。けれど、彼はその細い手首を逃さず掴み、頭上の柔らかなクッションへと沈み込ませるように押しやった。「隠すな。……今日、この瞬間のために、俺がいくら払ったと思ってる」 低く響く彼の言葉が、私の胸の奥を深く、鋭く切り裂いていく。 十億円。 それは母の命を繋ぎ止めるための値段であり、同時に、私の誇りを根こそぎ買い叩いた代金でもあった。「……っ、わかってます。好きに……してください……」 私は唇を白くなるほど噛み締め、ぎゅっと瞳を閉じた。 視界を閉ざした暗闇の中で、五感だけが恐ろしいほどに研ぎ澄まされていく。豪雨の湿った匂いと、彼が纏う高価なコロンの香りが混じり合い、頭がくらくらする。 彼が私の身体に触れるたび、這わせた指先の熱が、逃げ場のない毒のように全身へ回っていくのが分かった。征也の手のひらは、かつて私が知っていたあの優しい少年のものではなくなっている。節くれ立ち、力強く、狙ったものを決して逃さない大人の男の手だ。 彼の唇が、私の鎖骨をゆっくりとなぞり、その中央で揺れるサファイアを舌先で転がした。 カチリ、と硬い石が私の骨に当たる、かすかな感覚。シーツが擦れる衣擦れの音が、やけに大きく鼓膜に響いた。 冷え切った石と、彼の熱い舌。その正反対の刺激が、私の思考をぐにゃりと濁らせていく。「莉子……お前は、この四年間、一度でも

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第40話 雷雨の初夜③

    「あっ……!」 視界が大きく揺れ、私は反射的に彼の首に腕を回してしがみついた。 濡れた髪が私の頬に触れ、冷たい雫が胸元にこぼれ落ちる。その冷たさが、かえって彼と密着している部分の熱を異常なほどに引き立たせた。 彼は私を抱えたまま、ゆっくりとした歩調で、大きなベッドの中央へと歩を進めた。 シーツの上に降ろされると、ふわりとした感触と共に、逃げ場を塞ぐようにして彼の重みが覆い被さってきた。 もう、どこにも行けない。 背中には柔らかなマットレス、そして上からは逃れられない大きな支配者が私を押さえつける。 征也の指が、私のガウンの合わせ目に掛かった。「……月島莉子」 彼は、私の名を呼んだ。今となっては、私の旧姓である名前を。 その響きには、かつて高校の屋上で私を呼んだ時の、あどけない少年の面影がほんの少しだけ混じっているように聞こえて――私は胸の奥を、鋭い刃物でぐちゃぐちゃに掻き回されるような痛みを覚えた。「あの日、お前が俺から逃げ出した日……俺がどんな夜を過ごしたか、考えたことはあるか?」 彼の指が、ゆっくりと時間をかけるようにしてガウンの紐を解いていく。 少しずつ、外気に晒される肌が粟立ち、心臓の音が耳元までうるさく響いた。「あの時から、俺の時間は止まったままだ。俺の……不甲斐なかった俺自身への憎しみと、お前への、呪いみたいな執着だけで、俺はここまで這い上がってきた」 彼の言葉は、震えるほどの告白のようでいて、同時に残酷な死刑宣告のようでもあった。「だから、今夜からはお前がその代わりをしろ。……どんなに泣いても、絶対に許さない」 ガウンが肩から音もなく滑り落ち、私の無防備な姿が露わになる。 征也さんの瞳の色が、いっそう濃く、昏くなった。 彼は私の細い足首を掴み、自分の方へと乱暴に引き寄せる。 その手のひらは、火傷しそうなほどに熱かった。そして、掴まれた場所から、毒のように甘いしびれが血液に乗

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status